知床を滑る - 前編 -
- namara-trip2016
- 2021年6月10日
- 読了時間: 4分
更新日:2021年6月27日

世の中が不安定になり、当たり前が当たり前じゃなくなって一年が経った。そんな中でも、季節の変わり目に滑った知床での4日間について、時間の経過とともに記憶が薄らいできたので記録として残そうと思う。
DAY 1

3月も終わりを迎える頃、久しぶりに羽田空港へ向かうバスに乗った。
新型コロナウイルスの影響もあり、空港はガラガラかと思いきや、集合写真を撮ってこれから思い出作りに向かおうとしている学生たちで賑わっていた。
1日遅れて中標津空港へ向かうはずが、感染拡大の影響もあり数日前に予定していた便が欠航になってしまい、羽田→女満別→網走→斜里→知床と少し遠回りしながら知床を目指すことになった。
道東の公共交通機関での移動は調べる度に大変であることを、住んでいたときは気にならなかったがこのとき実感した。
女満別空港に無事降り立つと雪がチラつき少し肌寒さを感じた。
網走から一両編成の電車に乗り込み窓の外を眺めていると、オホーツク海に残っている流氷が見えて、改めて実家近くに来たことを認識できた。(近いとはいえ、100kmはある。)

終点の知床斜里駅に到着すると、1日早く到着していた仲間たちが迎えに来てくれて少し安堵する。
日中よりも降雪が強くなる中、信号のない峠の雪道の運転にはしゃぎながらもこれからお世話になる民宿へチェックイン。
仲間たちは一足先に脚慣らしを終えていた。明日は日本百名山の一つ、斜里岳での滑走が待っている。ワクワクガヤガヤしながらも、食後の眠気とともに各々翌日に備えて部屋へと戻って電気を消した。
DAY 2

夜明けとともに宿を出発し、日の出の美しさに見惚れつつ根北峠(こんぽくとうげ)を目指す。

今回の冒険は、知床を熟知している知床倶楽部ガイドの石田さんと、ハスキーボイスで漁業組合所属のテールガイド大滝さん含め、計9名の男女混合パーティで構成されている。
平均30代の山スキー愛好家たちであり、山岳滑走を目的に集まった貴重な仲間たちだ。

自分以外は皆スキーモード。裾野が大きく雪深い斜里岳は厳冬期ともなればラッセルしなければ先へ進むことすらできないとか。

雲ひとつない青空と根室海峡を背に喜びを隠せない様子。はしゃぎ過ぎには注意しよう。

斜里岳山頂へは板を残置し、アイゼンとピッケルへ切り替える。自分含め仲間の殆どがピッケル初心者という状況にガイドも苦笑い。

ガイドのアドバイスを頭の中で繰り返し、斜里岳の山頂を目指す。日射の影響で雪が緩んで脚がとられる。
少し登ったところで仲間のアイゼンの樹脂部分が劣化により破損したが、針金やタイラップで応急処置して事なきを得た。(不安になって自分の足元もこっそり確認した。)

危険な遊びに手を出した女性たち。それでもやめられない止まらないのがこの遊びなのかもしれない。

稜線を黙々と進み斜里岳の山頂に登頂した瞬間、道東の懐の深さを感じる景色を目の当たりにできた。「でっかいどう」と良く聞くけど、的を得ているなと思う。
東北以南だと低山の分類にあたる標高にもかかわらず、これだけの開放感を得られるのは北海道ならでは。

ロシアのアムール川河口から流れる中で育ってきたこの氷の塊たちが、オホーツク海で少しずつ溶け始めて季節の変わり目を告げようとしている。

ランチタイムを終えて下山を開始する。麓から見た斜里岳は巨大な裾野をもつ独立峰のようだけれど、実際に稜線を歩くとそのイメージとは異なるほど山並みがどこまでも続いているように見えた。

デポしていた場所まで戻って滑走準備をはじめる。自分は北海道でのバックカントリー初滑走の時間にワクワクしつつ動画と写真撮影でワタワタする。

難しい雪を噛み締めながらターンを刻む。「スノーボードってかっこいい。」そんなターンをリズム良く刻む姿が印象的だった。この旅を通して同年代の滑り手の生き方と立ち振る舞いに刺激をもらった。

北海道ではスピード違反に気をつけよう。その前に流血ものの怪我をしていた模様。改めて滑走競技の危険度を目の当たりにする。

負傷者の手当てのため麓の街へ向かうべく、中標津町内の病院へアポイントをとり、スピーディーに下山した。

トラブルはあったものの、斜里岳の懐の深さを肌で感じながら無事下山した我々は、車窓越しに映る知床連山へ意識を次第にシフトしていた。
明日はどんな景色が観れるかな。




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